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最高裁判所第一小法廷 平成8年(オ)2043号 判決

上告人

甲野花子

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

石川寛俊

被上告人

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

川口晴司

主文

原判決中上告人ら敗訴の部分を破棄する。

前項の部分につき本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人石川寛俊の上告理由第一点について

一  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  甲野太郎(昭和五年九月一四日生)は、昭和五八年一〇月ころ、社会保険小倉記念病院において、アルコール性肝硬変に罹患しているとの診断を受け、同病院の医師の紹介により、同年一一月四日、肝臓病を専門とする医師であり牧坂内科消化器科医院を経営する被上告人との間に、右疾患についての診療契約を締結し、継続的に受診するようになった。

2  その当時、太郎には、肝細胞癌の存在は認められなかったが、肝硬変に罹患した患者に肝細胞癌の発生することが多いことは、医学的に広く知られていた。また、肝細胞癌の発生する危険性の高さを判断する上での因子としては、肝硬変に罹患していること、男性であること、年齢が五〇歳代であること、B型肝炎ウイルス検査の結果が陽性であることの四点が特に重視されていたところ、太郎は、当時五三歳の男性であって、肝硬変に罹患しており、医師として肝細胞癌発見のための注意を怠ってはならない高危険群の患者に属していた。

3  右当時、肝細胞癌を早期に発見するための検査方法としては、血液中のアルファ・フェトプロテインの量を測定する検査(AFP検査)と、腹部超音波検査が有効であると認められていた。このうち、AFP検査は、肝細胞癌の大きさと検査による測定値が必ずしも比例せず、特に、細小肝癌の場合には検査による測定値が顕著な上昇を示すことは必ずしも多くないため、定期的に反復継続して検査を行い、その経過を観察することが重要であると認識されていた。このように右検査の有効性には限界があるので、腹部超音波検査を併用することが必要であるとされていたが、同検査も、検査装置使用上の死角や画像描出の鮮明さの限界などの点で完全なものではないため、当時の医療水準においては、その頻度についてはともかくとして、定期的に右各検査を実施し、肝細胞癌の発生が疑われる場合には、早期に確定診断をするため、更にエックス線による身体断面の画像の解析検査(CT検査)その他の検査を行う必要があるものとされていた。

被上告人は、肝臓病の専門医として以上の事情を認識しており、また、小倉記念病院において太郎にAFP検査や腹部超音波検査等を受けさせることは、それほど困難ではない状況にあった。

ちなみに、当時、超音波検査の検査装置等により検出することが可能な腫瘍の最小の直径は、1.5センチメートルとされていた。また、腫瘍の体積の倍加速度については、症例ごとに大幅な差があるとされており、最短のものとしてこれを一二日とする調査結果もあった。

4  被上告人は、昭和五八年一一月四日から昭和六一年七月一九日までの間に、合計七七一回にわたり、太郎について診療行為を行った。その内容は、問診をし、肝庇護剤を投与するなどの内科的治療を実施するほか、一箇月ないし二箇月に一度の割合で触診等を行うにとどまり、肝細胞癌の発生の有無を知る上で有効とされていた前記各検査については、昭和六一年七月五日にAFP検査を実施したのみであった。なお、太郎の肝臓の機能は、肝硬変の患者としては比較的良好に保たれていたところ、同月九日に明らかになった同検査の結果において、その測定値は、正常値が血液一ミリリットル当たり二〇ナノグラであるのに対して同一一〇ナノグラムであったが、被上告人は、太郎に対し、肝細胞癌についての反応は陰性であった旨告げた。

5  太郎は、昭和六一年七月一七日夜、腹部膨隆、右季肋部痛等の症状を発し、翌一八日朝、被上告人の診察を受けたところ、筋肉痛と診断され、鎮痛剤の注射を受けたが、翌一九日、容態が悪化し、被上告人の紹介により、財団法人健和会大手町病院において同病院医師の診察を受けた。その結果、肝臓に発生した腫瘤が破裂して腹腔内出血を起こしていることが明らかとなり、さらに、同月二二日、前記急性腹症の原因は肝細胞癌であるとの確定診断がされた。また、同病院における検査の結果、太郎の肝臓には、三つの部位に、それぞれ大きさ約2.6センチメートル×2.5センチメートルないし約7センチメートル×7センチメートルの腫瘤が存在していたほか、他の部分に、大きさ約五センチメートルの境界不明瞭病変及び大きさ不明の転移巣数個が存在し、門脈本幹に大きさ不明の腫瘍塞栓が存在していることが判明した。

なお、太郎については解剖が実施されなかったことなどもあり、腫瘍等の正確な位置、大きさ等は明らかとなっていない。

6  当時、肝細胞癌に対する根治的治療法の第一選択は患部の外科的切除術であるとされ、他に、門脈から血流が得られない場合以外の場合について肝動脈を塞栓して癌細胞に対する栄養補給を止めこれを死滅させる治療法(TAE療法)や、腫瘍の直径が三センチメートル以下で個数が三個以下の肝細胞癌について病巣部にエタノールを直接注入して癌細胞を壊死させる治療法(エタノール注入療法)が知られていたが、太郎について肝細胞癌が発見された時点においては、その進行度に照らし、既にいずれの治療法も実施できない状況にあり、太郎は、同月二七日、肝細胞癌及び肝不全により死亡した。

二  本件において、太郎の妻である上告人花子及び右両名の間の子であるその余の上告人らは、被上告人は、当時の医療水準に応じ太郎について適切に検査を実施し早期に肝細胞癌を発見してこれに対する治療を施すべき義務を負っていたのに、昭和五八年一一月四日から昭和六一年七月四日までの間に肝細胞癌を発見するための検査を全く行わず、その結果、太郎は肝細胞癌に対する適切な治療を受けることができないで、同月二七日に死亡するに至ったのであるから、主位的に不法行為により、予備的に診療契約の債務不履行により、被上告人は太郎の逸失利益及び精神的苦痛について損害賠償債務を負うところ、上告人らは太郎の右請求権を相続したなどとして、上告人花子は四〇〇〇万円、その余の上告人は各自につき一五〇〇万円と、これらについての遅延損害金の支払を求めている。

原審は、次のように判示し、上告人らの主位的請求を一部認容すべきものとした。

1  太郎は、被上告人の診療を受け始めた昭和五八年一一月四日当時、肝細胞癌の発生する危険性が高い状態にあったのであるから、当時の開業医の医療水準として、被上告人は、自らこれを行うか、又は太郎に対して小倉記念病院等他の医療機関で受診するよう指示するなどして、少なくとも年二回、すなわち、六箇月に一度は、AFP検査及び腹部超音波検査を実施し、その結果肝細胞癌が発生したとの疑いが生じた場合には、更にCT検査等を行って、早期にその確定診断を行うようにすべき注意義務を負っていた。それにもかかわらず、被上告人は、昭和六一年七月五日にAFP検査を一度実施した以外は、太郎について肝細胞癌の発生を想定した検査を一度も実施していないから、被上告人は右注意義務に違反したというべきである。当時の検査装置の性能において検出可能とされる腫瘍の直径が最小1.5センチメートルとされていたことや、太郎について肝細胞癌が発見された当時の腫瘍の状態、肝細胞癌の成長速度に関する知見を考慮すると、被上告人が右注意義務を尽くしていれば、遅くとも昭和六一年一月ころまでには、被上告人は太郎につき肝細胞癌を発見し得る高度の蓋然性があったと認められる。

2  仮に右の時点で太郎について肝細胞癌が発見されたとした場合、実際の発見時における肝細胞癌の状況及び当時の太郎の肝臓の機能が比較的保たれていたことなどからみて、外科的切除術も適切な治療法として実施可能であったと認められる。そして、外科的切除術による治癒又は延命の効果は、腫瘍の直径に応じて大きく異なるが、仮に太郎につきこれが二センチメートル未満の状態で発見されていたとすると、治癒するか長期にわたる延命につながる可能性が高かった。

また、TAE療法の実施についても、腫瘍の直径が二センチメートル未満であれば、一般に門脈への浸潤はなく、同療法の実施は可能である。また、同療法は、四個以上の病巣を持つ多中心性の肝細胞癌や腫瘍の直径が三センチメートルを越える肝細胞癌に対しても、また、肝機能が悪化して外科的切除術が実施できない場合についても、有効であって、他の療法と組み合わせて実施することにより、大きな腫瘍の場合であっても、延命は可能である。

このように、被上告人が太郎について当時の医療水準に応じた注意義務に従って肝細胞癌を発見していれば、右各治療法のいずれか又はこれらを組み合わせたものの適切な実施により、ある程度の延命効果が得られた可能性が認められる。

3  しかしながら、右のように太郎について延命の可能性が認められるとしても、いつの時点でどのような癌を発見することができたかという点などの本件の不確定要素に照らすと、どの程度の延命が期待できたかは確認できないから、被上告人の前記注意義務違反と太郎の死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。

4  もっとも、太郎は、被上告人の前記注意義務違反により、肝細胞癌に対するある程度の延命が期待できる適切な治療を受ける機会を奪われ、延命の可能性を奪われたものであり、これにより精神的苦痛を受けたと認められる。本件の事情を総合考慮すると、太郎の右精神的苦痛に対する慰謝料については、三〇〇万円をもって相当と認め、他に弁護士費用として六〇万円をもって相当と認める。上告人らは、右各損害合計三六〇万円についての太郎の損害賠償請求権を、各自の相続分に従って相続したものというべきである。

三  しかしながら、被上告人の注意義務違反と太郎の死亡との間の因果関係の存在を否定した原審の右3の判断は是認することができず、したがって、損害額に関する右4の判断も是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和四八年(オ)第五一七号同五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。

右は、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき事由であり、前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない。

2  これを本件について見るに、原審は、被上告人が当時の医療水準に応じた注意義務に従って太郎につき肝細胞癌を早期に発見すべく適切な検査を行っていたならば、遅くとも死亡の約六箇月前の昭和六一年一月の時点で外科的切除術の実施も可能な程度の肝細胞癌を発見し得たと見られ、右治療法が実施されていたならば長期にわたる延命につながる可能性が高く、TAE療法が実施されていたとしてもやはり延命は可能であったと見られる旨判断しているところ、前記判示に照らし、また、原審が判断の基礎とした甲第七九号証、第八八号証等の証拠の内容をも考慮すると、その趣旨とするところは、太郎の肝細胞癌が昭和六一年一月に発見されていたならば、以後当時の医療水準に応じた通常の診療行為を受けることにより、同人は同年七月二七日の時点でなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が認められるというにあると解される。そうすると、肝細胞癌に対する治療の有効性が認められないというのであればともかく、このような事情の存在しない本件においては、被上告人の前記注意義務違反と、太郎の死亡との間には、因果関係が存在するものというべきである。

してみると、被上告人の注意義務違反と太郎の死亡との間の因果関係を否定した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというほかはなく、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中上告人ら敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、更に審理を尽くさせる必要があるから、原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎)

上告代理人石川寛俊の上告理由

第一点、原判決は、つぎのとおり民法七〇九条に定める因果関係の解釈を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一.原判決が認定した事実は以下のとおりである。

〈診療経過〉について

1.太郎は、昭和五八年一〇月に小倉記念病院の人間ドック検診を受けて肝障害を指摘され、精密検査のため同病院消化器科において通院受診し、担当医師木下善二医師の指示により同月一八日、腹部超音波検査及び肝シンチ検査を受けたが、肝臓の腫瘍は否定された。そして木下医師は、太郎に対し、肝疾患の治療のために、肝臓の専門医として被上告人を紹介した。

2.被上告人は、小倉記念病院消化器科主任部長として各種肝臓疾患患者の診療に当たり、また山口大学医学部及び産業医科大学の非常勤講師として肝臓病学を教えたが、昭和五八年一月に同病院を退院して内科、消化器科等を標榜する乙川医院を開業した。

3.被上告人は、昭和五一年に制癌剤で肝癌を完治したという研究報告を、昭和五五年に慢性肝炎に対する漢方薬の治療効果を論文発表し、昭和五七年には過去九年間に治療された肝臓癌二四五症例の調査研究をまとめたが、その中で、「従来診断がついた時点で死を意味していたといって過言でなかった原発性肝癌も早期診断が可能となって初めて根治可能な消化器癌の仲間入りをしつつあるといえる」、「原発性肝癌の治療成績を向上させるためには、発生母地と考えられている慢性肝炎、肝硬変症に対して、各種検査法を効率よく駆使して詳細にその経過を追跡することにより、根治手術が期待できる最小肝癌及び切除可能な症例をできるだけ早期に発見することであり」と論述していた。

4.被上告人は太郎に対し、禁酒等の節制及び安静を指示した。太郎は概ね指示を守り節制に努め、昭和五八年一一月四日を初診として昭和六一年七月まで、休日等を除いて殆ど毎日のように被上告人医院に通院し、合計七七一回診察を受けた。

その間太郎に対する診療の内容は、問診をし、肝庇護剤を投与するなどの内科的治療をしたが、肝癌発見の目安となるAFP検査が昭和六一年七月五日に実施されたが、それ以前には初診以来、AFP検査等の肝臓の腫瘍マーカーの検査等は実施されなかった。また肝癌を想定したエコー等の画像診断による定期的スクリーニングを一度も実施していない。

5.昭和六一年七月一七日夜から、太郎は腹部が膨隆し、右季肋部痛が出現し、翌一八日午前一時ころ急患センターを受診し腹部膨隆とガスの異常を指摘された。同日朝に被上告人の診療を受け、右季肋部痛を訴えたが、被上告人は筋肉痛と診断し鎮痛剤を投与した。翌一九日も太郎は被上告人の診察を受け、上腹部痛を訴え腹部膨満感、発熱を伴っていたため、被上告人は肝癌を疑診するとともに肝庇護剤等を注射した。そして週明けの二一日に小倉記念病院で受診するよう指示し、紹介状を手渡した。

帰宅した太郎がやはり腹部膨満感と極度の疲労を訴えていたところ、上告人花子との電話連絡の結果あらためて大手町病院への紹介状を手渡した。

6.太郎は容態がさらに悪化したため、同日午後五時ころ、紹介状を持って大手町病院の救急外来へ行った。海口医師による診察で、腹部膨満による圧痛、貧血、肝機能障害及び黄疸を認めたため、直ちに腹部CT検査、腹部エコー検査等を実施した。右検査の結果、肝臓のS7、S6等の部位に巨大な腫瘤が見つかり、腹腔内出血と診断された。その後太郎の全身状態の回復を待ち、ショック状態を脱したことから、血管造影検査を行い急性腹症の原因が肝癌である旨の確定診断をした。しかしその時点では、太郎の肝予備能が低く、門脈腫瘍塞栓により門脈血流が低下していたため、肝切除術もTAE(肝動脈塞栓)療法も実施できなかった。

太郎は肝不全の進行で容態が悪化し続け同月二七日肝癌及び肝不全で死亡した。

7.大手町病院で実施された諸検査の結果、太郎の肝臓にはS6に直径約七センチメートル、S7に同約六センチメートル、S5またはS8に同約2.6センチメートルの腫瘤及びS4に大きさ約五センチメートルの境界不明病変が認められた。

なお、資料となる各フィルムが肝癌の位置や形態を確認する目的で撮影されたものでないため、正確な腫瘍の位置、大きさ等は不明である。

〈肝癌の早期発見義務〉について

1.昭和五八年から昭和六一年当時、肝細胞癌の危険因子として、肝硬変症、男性年齢五〇歳代、B型肝炎ウイルスマーカー陽性の四因子が特に重視されていたが、太郎は、昭和五八年一一月当時、五三歳の男性で、アルコール性肝硬変症であるから、右の四因子中三因子に該当し、いわゆる肝癌発生に関する超高危険群に属しないにしろ、医師として肝癌発見のための注意義務を怠ってはならない高危険群に属していた。

2.そして当時、肝癌の早期発見のための検査方法として認められていたのがAFP検査と腹部超音波検査であった。AFP検査は肝癌における腫瘍マーカーとして重要なものとされ、最小肝癌の発見のためには、反復測定しながら経過を観察し、肝癌の発生を見逃さないようにしなければならない。また超音波検査は簡便な装置と容易な操作により、専門医に限らず一般臨床医にとっても必須の診断法となってきており、腹部エコー検査は触診代わりとして使用され、その習熟は第一線医家にとって必須であり、それなくしては肝疾患、特に肝癌の診断はなされえない。

3.右定期的スクリーニングの検査間隔については、太郎の症状、診療契約の趣旨及び肝細胞癌の種類、倍加時間の検討のほか、超音波装置及び専門家の数を考慮して判断するのが相当であるが、被上告人は、自らあるいは小倉記念病院等他の設備を有する医療施設での受診を指示するなどして、少なくとも、年二回、即ち六か月に一度はAFP検査及びエコー検査を定期的スクリーニングとして実施し、その検査結果により肝癌の疑いが生じた場合には、さらにCT検査、肝シンチグラム、血管造影等を実施して肝癌の確定診断に努めるべきであったと認めるのが相当である。

4.ところで、被上告人は、AFP検査の結果が陽性で、肝硬変、男性、年齢五〇歳代という肝癌発症に関する高危険群患者であった太郎に対し、昭和五八年一一月四日の初診時から昭和六一年七月五日までの約二年八か月間に合計七七一回の診療をしながら、被上告人が指示すれば、小倉記念病院等の他の定期的スクリーニングができる病院で検査を受けさせることも容易であったのに、被上告人は、肝機能検査、凝固系検査としてヘパプラスチンテストを実施したのみで、昭和六一年七月五日にAFP検査を一度実施した以外は、肝癌を想定したAFP検査やエコー等の画像診断による定期的スクリーニングを一度も実施していない。

したがって、被上告人は定期的スクリーニングを実施し、太郎の肝細胞癌を早期発見すべき義務に違反したものと認めるのが相当である。

〈早期発見義務違反と死亡との因果関係〉について

1.本件では、前記のとおり、仮に定期的スクリーニングを実施して肝癌を発見できたとしても、その時点での肝癌の状態は不明であるから、治療を施したとしても、具体的にどの程度の延命効果があったかは明らかではないが、当時の医療水準において、肝癌が発見されれば、TAE療法、局所化学療法、全身化学療法、場合によっては肝切除等の治療を受けることができた。治療法の選択は発見時の肝癌の進行程度と肝予備能によるが、治療後良好な予後が期待できる段階で発見され、適切な治療をうけたとすれば、延命効果が期待できたと認められる。すなわち、太郎は、肝硬変患者として長期間治療を受けていたが、肝癌が破裂したと推認できる昭和六一年七月一七日ころ以前は、肝機能はほとんど悪化しておらず、アルコール性肝硬変、代償性肝硬変であって、肝機能が比較的保たれていたから、右肝癌が破裂したと推認される時点以前に肝癌が発見されていれば、次のような切除術、TAE療法、エタノール注入療法等の治療法のいずれか、あるいはその組み合わせを適切に選択して実施することにより延命効果が期待できたと認められる。

2.太郎の肝癌については、被上告人が前記のような医師としての注意義務に従い、定期的スクリーニングを実施していれば、少なくとも昭和六一年七月の発見以前に肝癌を発見することができ、適切な治療によりある程度の延命効果が得られた可能性が認められる。しかし、太郎の延命の可能性が認められるとしても、いつの時点でどのような癌を発見することができたかという点などの本件の不確定要素に照らすと、どの程度の延命が期待できたかは確認できないから、被上告人の右過失及び債務不履行と太郎の死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。

〈損害〉 について

1.前記のとおり太郎は、肝細胞癌の発見のための定期的スクリーニングを被上告人の義務違反のため受けられず、そのため、肝癌に対するある程度の延命が期待できる適切な治療を受ける機会を奪われ、延命の可能性を奪われたものであり、これにより、精神的苦痛を受けたと認められる。

そして、前記認定した諸般の事情を総合考慮すると、太郎の右精神的苦痛に対する慰謝料としては三〇〇万円をもって慰謝するのが相当である。

二.被上告人の義務違反は、死亡との間の因果関係を推定する

1.右のとおり原審は、被上告人が太郎の肝癌を早期発見すべき義務に違反したと認め、なおかつ適切な治療による効果が期待できた事実を認定した。にもかかわらず、「いつの時点でどのような癌を発見することができたかという点などの本件の不確定要素に照らすと、どの程度の延命が期待できたかは確認できない」として、被上告人の過失及び債務不履行と太郎の死亡との相当因果関係は認められないとした。

しかしこれは、医療過誤事件における事実的因果関係についての経験則判断を誤りひいては民法七〇九条がいう「過失ニ因リテ」における因果関係の解釈を誤ったもので破棄を免れない。

2.太郎のような肝癌発生の高危険群に属する患者に対し、肝癌を早期に発見すべき義務が医師に課す根拠は、肝癌を治癒するための根治手術を含む治療法を奏功させるために、肝癌の大きさが直径二センチメートル程度の最小肝癌の段階で治療が開始されねばならないからである。そして具体的な方法として、単一のAFP検査では最小肝癌の場合、検査値の顕著な上昇が見られないこともあるから、最小肝癌の発見のためにはAFP検査を反復継続しての経過観察が要求され、またそれだけでは肝癌の早期発見のための腫瘍マーカーとしての限界があるため、腹部エコー検査等の画像検査の併用が必要とされている。

さらにこれら検査の実施間隔は、腫瘍の倍加時間との関係で二センチ未満の最小肝癌の段階で補足発見可能なように定められている。検査間隔を二〜四ヵ月に一回とするとしても、論者によって多少の時間幅があるのは、腫瘍倍加時間についての考えが相違するからである。第一審判決で引用されている日本医師会発行の当時の文献(甲三号証の六)に「六か月間隔ではちょっと心配である。すなわちその間に急に大きくなって出てくる場合を時々経験するからである」とあるのは、その事情を物語っている。

3.検査間隔に多少の幅があっても、数ヵ月に一度の定期的スクリーニング検査の実施が臨床医師に義務づけられているのは、要するに根治可能な最小肝癌の段階で発見すべき、との理由からである。ところで被上告人は、約二年八ヵ月間計七七一回も診療しながら、肝癌を想定した右定期的検査を一度も実施しなかった。

第一審及び原審でのこうした認定事実からすれば、被上告人の義務違反がなければ、太郎の肝癌は根治手術も可能な最小肝癌の段階で発見しえた、ということになる。被上告人が論文発表しているように、「早期診断が可能となって初めて根治可能な消化器癌の仲間入りをしつつある」とか「各種検査法を効率よく駆使して……根治手術が期待できる最小肝癌及び切除可能な症例をできるだけ早期に発見する」と説かれるのは、早期発見がなされれば肝癌も根治可能である、との医学的理解が前提となっているからである。早期発見が叫ばれる所以である。

4.一般に医師の診療上の注意義務は、疾病の進行による生命身体への侵襲を防止し治療を奏功させるために、疾病の診断ないし治療を目的にした最善を尽くすことが要求されている。そして具体的に要求される行為は、例えば能書きが定める使用法に応じた投薬であるとか、感染症の病態を把握するための炎症検査や血液培養であるとか、さまざまである。これらの注意義務のうち多くは、それに違反したからといって必ずしも直ちに不幸な結果に結びつく訳ではない。能書きが定める適応範囲を越えた疾病に対する薬剤投与があっても、予想外の結果がその薬剤の副作用かどうかは別途検討されねばならないし、頻回の炎症検査や血液培養検査を怠ったことと感染症の重症化による死亡とは必ずしも結びつかない。しかし予想外の結果が、その薬剤が使用法を限定し副反応を防止しようとするその副反応であるならば、能書き違反と発生した結果との因果関係は十分推定される。

しかし感染症が重症化した原因が、急激な炎症の進行や血液培養による原因菌の同定の遅れにはなく、これら検査で把握できない患者の体質的素因にある場合には、義務違反との因果関係は別途検討されねばならない。

5.このように医師が有すべき注意義務のうちには、仮にその義務に違反したからといって現実に発生した結果と因果関係を有するとは限らない場合と、ある特定の結果を避けるために具体的な措置が要求されているために、義務違反があって同時に懸念されたその特定の結果が発生してれば、その結果と当該義務違反との因果関係が強く推定される場合がありうる。

本件に則して考えれば、肝癌の早期発見義務に違反することは即ち根治可能な治療を奪ったことを意味している。また根治可能とは、肝癌による死を免れると同意義であるから、義務違反はそれだけで死亡との因果関係を強く推定させる関係にある。根治不可能=死という特定の結果発生を懸念するからこそ、最小肝癌段階で早期発見がやかましくいわれ、AFPの反復継続と触診代わりの腹部エコー検査の習熟が必須とされ、定期的にこれら両検査を併用することで肝癌を二センチ程度の成長段階での早期発見できる、とされてきたのである。

6.しかも本件では、右のように、定期的スクリーニング検査→最小肝癌での発見→根治的療法→死亡を免れるとの因果の流れを阻害する特別事情は全くない。原判決が認めるとおり、太郎の肝臓は肝機能は破裂した昭和六一年七月ころまで機能がほとんど悪化しておらず肝硬変も代償性の段階でとどまっていたから、早期発見さえできておればあらゆる治療法の適応があったと認められた。

原判決にあるとおり、訴訟の過程では被上告人からは、仮に義務を尽くしても最小肝癌段階での発見は本件の特殊性から不可能であったとか、万一発見しえても太郎の肝癌の位置や形態からすれば水準的治療の適応がない、との反論も提出されていたが、いずれもその証明がないとして退けられた経過がある。

結局のところ、本件義務が医師に要求される根拠は、早期発見による肝癌の根治療法を確保するためである。被上告人の義務違反のために、根治療法が可能な最小肝癌段階での発見が不能に帰して、太郎の肝癌が破裂し死亡に至ったのであるから、被上告人の義務違反によって太郎は死亡したと考えることに不合理はない。

三.いつどのような癌が発見されたか不確定 だから因果関係がない?

1.それでも原判決は、太郎の延命の可能性が認められるとしても、いつの時点でどのような癌を発見することができたかという点などの不確定があるので、どの程度に延命できたかは確認できないとして、死亡との因果関係を否定した。ここでいう延命の可能性という言葉も判然としないが、太郎が昭和六一年七月二七日以降も生存し続けたが、ただ生存期間が定かでないという程度の意味と思われる。

本件で因果関係を判断する対象となっているのは、右の太郎の死亡であるから、被上告人の義務違反がなければ右死亡もおよそ存在しえなかった事実は、(交通事故その他で同じ日に死亡する偶然を除けば)おそらく動かし難い。「あれなければこれなし」(but for test)との具体的条件関係はもちろん、およそ前記義務違反がなければ一般に最小肝癌として根治可能な治療が施されると考えられるのであるから、義務違反と死亡との相当因果関係も肯定してよい。

2.どの程度に延命できたか確認できないのは、すべての死亡者に共通の設問であって、死んだ子供の歳がいつまで数えうるかという悩みに似ている。延命の程度が確認できないという事情は、どれだけ生存しえたか分からない、つまり損害の程度が不明というだけで、損害がないつまり歴史的な右死亡の事実が動かない、という意味ではない。原判決はここを混乱し「延命可能性の程度がわからない」という概念を『延命がおよそない』という極限まで含めて、因果関係が不明であると結論を急いでしまったきらいがある。

死亡という最悪の結果を回避するには最小肝癌の段階で発見しなければならない、そのためには一定期間毎の定期的検査が必要である、これが本件のような肝癌への高危険群患者に対する医師の注意義務である。その義務を怠ったのであれば、最悪の結果を回避できなかったのはいわば当然の成り行きであり、義務違反と最悪の結果=死亡との間には相当因果関係がある、とみるのがごく自然な理解であろう。一定期間毎の定期検査は、もっぱら最小肝癌段階=治癒可能段階での早期発見を目的として、設定し要求されているからである。

3.昭和五八年一一月の初診時には、太郎に肝癌が存在せず、昭和六一年七月一九日の大手町病院での検査では七センチ、六センチ、2.5センチなど多数の肝癌が確認されている。つまり太郎の肝癌は、被上告人に検査義務違反があったとされる昭和五八年一一月から昭和六一年七月までの間に、発症し成長して破裂に至ったことは間違いない。この間、被上告人には七七一回の検査機会が与えられていたから七七一回の肝癌発見が可能であった。しかし七七一回の義務違反のために、一度も太郎の肝癌は診察されなかったから、その間の肝癌の状態は知る由もない。

原判決は、「いつの時点でどのような癌を発見することができたか」不明という。確かに本件では、いつ癌が発見できたか、その時の癌の状態がどうか、わからない。しかしそれは、被上告人が義務違反をしたためである。原判決がいう不確定要素とは、過失ないし債務不履行があったという事実を裏面から述べているだけで、わからなければ因果関係の判断ができない、ということではない。

4.法が医師に要求している義務は、前述のとおり治癒可能な段階で肝癌を早期に発見すべき検査を実施することであるから、義務を履行した場合に発見できる肝癌とは最小肝癌である。また発見できる時期がいつかは、七七一回の診療期間中のいつでもと答えるほかない。だからこそこの間の被上告人の行為が義務違反と認定されたのである。それ以上に年月日を特定する意味はない。また本件では、大手町病院へ緊急入院した後もショック治療が優先し、既に手の施しようがない程に悪化し破裂した肝癌の形態を検査する余裕も必要性もなかったので、事後的にも癌の発症時期や発症形態は不明のままで、死亡している。

はっきりしているのは、義務違反がなかったと仮定した場合に発見できる時期は昭和五八年一一月から昭和六一年七月までの(被上告人の義務違反行為が認定されている)期間内であり、発見できた癌は最小肝癌と考えられることである。したがって原判決のように、義務違反がなければ発見されるべき時期及びその場合の癌の内容が不明というのは、『現実に存在しない事実(A)を 存在したと仮定した場合に想定される事実(B)とは何か』という愚問を唱えているに過ぎない。想定される事実Bとは、とりもおなおさず、現実に存在しない事実Aを鏡に映しただけであるから、そのAを特定しない限り想定される事実Bが不特定なのは当たり前である。

因果関係を否定する根拠として、何人も納得させられず、理由不備である。

5.昭和六〇年三月二六日最高裁第三小法廷判決・民集三九巻二号一二四頁は、いわゆる極小未熟児が急激に進行する未熟児網膜症により失明した事故につき、担当眼科医が眼底検査義務を怠り専門医の治療を受けさせる措置を取らなかったことに過失があるとして逸失利益・慰謝料等の損害賠償を請求した事案である。

この事件で第一審は、医師が眼底検査の結果専門医と連絡を取り適切な診断・治療を受けさせるべき過失があったが、適切な治療がなされても失明を免れたか不確実であるとして、損害賠償を慰謝料に一本化して二五〇〇万円余りの賠償を認めた。第二審は、眼底検査が遅れた過失を肯定したうえ、本証Ⅱ型には光凝法は奏功しないとの反論に対して、これを実施してその無効を争うなら格別手術の適期を逸した本件では相当因果関係を否定できないとして因果関係不存在の主張を入れず、ただ因果関係の存否の不明確性は慰謝料算定につき斟酌するとして、逸失利益ほかで計三三七六万円余を認めた。

これに対して医療側が上告し、主に①本症の劇症型について因果関係を認めた違法、と②視力回復についての不確定要素は慰謝料に限らず全損害項目について斟酌すべき、と争った。

6.最高裁は、右①について、

「原審の確定した事実関係のもとにおいては、K医師としては、第二回眼底検査の結果、前示の第二回所見をえ、第一回の眼底検査から僅か一週間を経過したにすぎないわりには、Xの眼底に著しく高度の症状の進行を認めたのであるから、本症Ⅱ型の疑いの診断をし、頻回検査を実施すべきであり、また、本症の患者二、三名の眼底検査をした程度の経験を有するにすぎなかったのであるから、直ちに経験豊かな他の専門医の診察を仰ぎ、時期を失せず適切な治療を施し、もって失明等の危険の発生を未然に防止すべき注意義務を負うに至ったものというべきであるところ、同医師は、Xの症状の急変に驚き、おかしいと感じながらも十分に未熟児網膜症の病態の把握ができなかったため、頻回検査の必要性にも気付かず、一週間の経過観察として、次週にF医師の診断を求めたのにとどまったが、かかる処置は、Xが未熟児網膜症の激症型であったことに照らすと、不適切なものであったというべきであり、このためXは光凝固等の外科的手術の適期を逸し失明するに至ったものであるから、K医師には医師としての右注意義務違背の過失があったものというべきであり、右処置とXの失明との間には相当因果関係があるものというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。」として上告を退けた。

第二回の眼底検査の結果から頻回検査を実施すべきであり、また専門医の診察を仰いで失明防止のための適切な治療機会を与えるべきであるのに、これを怠ったのであるから、右処置と失明との間には相当因果関係がある、というのである。

また右②についても、

「所論の不確定要素は、原審が確定した逸失利益及び介護料にかかる損害額を減額すべき事由とはいえない。」として、不確定要素があっても減額できないことを明らかにした。

7.この判決と本件肝癌の事案を比較検討し、a医師に課された注意義務の内容、b注意義務に違反した具体的事実、c患者の病態と治療効果、d裁判所認定の因果関係の四点から整理すると、次のとおりである。

別表

最高裁未熟児事件

上野肝癌事件

a 注意義務

本症Ⅱを疑い頻回の眼底検査をし

失明防止の治療機会を与える義務

定期的な検査で最小肝癌を発見し

根治的療法を実施すべき義務

b 違反事実

第二回の検査で本症を疑うべきなのに、

漫然と経過観察に付した

二年八ヵ月にわたり一度も

右の検査を実施しなかった

c 患者病態

比較的急速に網膜剥離を起こす

劇症型で光凝固の効果は疑問視

癌の形態は不明ながら、

肝予備能よくあらゆる治療の適応あり

d 因果関係

光凝固等の外科手術の適期を逸して、

失明に至った

長期間癌が放置されて破裂したため

全ての治療が不能で死亡す

ここで明らかであるが、医師に課された義務の内容や義務違反の事実は、共通している。つまり網膜症罹患=失明ないし根治不能=死亡という悪結果を防止する目的から、定期的な検査が義務づけられているのに、医師が検査義務を怠ったという点である。両者の義務は、未熟児ないし肝疾患患者に対する一般病状の把握に向けられたものでなく、網膜症による失明あるいは根治不能な成長肝癌による死亡という特定の懸念された事態を避けるために具体的に特定されたものとなっている。だからこそ未熟児事件の上告審判決は、劇症型の場合には光凝固法の奏功が期待できないので因果関係がないとする医療側の主張にもかかわらず、治療効果について全く言及しないで「右処置と失明との間に相当因果関係があるというべき」との結論に達した。

本件原判決の因果関係の考えは、右最高裁が示す因果関係判断の手法と逆行しており破棄を免れない。

8.右判決について、「当該治療についていかなる程度の治癒可能性があれば結果発生の予防に有効であり、医師は当該予防措置を患者に施行しなければならない。これについては、光凝固法による治癒可能性が、オーエンスⅡ型の場合には皆無であるという反証が医師側からなされない限り、なお有効であると裁判所は考えてよいという証拠提出責任を課したものであると本件判決を読むことができることが指摘されてよい。」(手嶋豊・法学論叢一一九巻一号九四頁)として医療過誤訴訟での証明責任に言及する論者や、「医師の義務違反は、既述のとおり、頻回の検査による確診、これによる受診療等の適切な処置に進まず、その反面として、診断をつけないまま経過観察を続けたことにあるから、このような一連の措置についての因果関係は、かかる全体としての処置等との関係で議論するのが妥当と考えられ、そうすると、判旨のいう相当因果関係は不作為の因果関係の側面が強調されているように窺えるけれども、むしろ、このような全体としての処置と失明との間の因果関係、ひいては、診療上の義務違背と右の結果についての相当因果関係に分析し、この過失と法的因果関係、総じて帰責相当性の認定、判断による賠償要件の証明があったとして、その責任を肯定するという操作が考えられてよい」(稲垣喬・民商九四巻二号二六四頁)と帰責相当性による判断の妥当性を指摘する評者があり、右最高裁の結論と理由付けに殆ど異論はない。

結局のところ、原判決は自ら認定した被上告人の義務違反の事実と死亡との因果関係を判断するに際して、違反事実が長期にわたる幅のあるものである特徴に留意せずに、発見すべき一時点がいつかわからない(したがってその時点の癌の形態も当然不明となる)のでその一時点の行為と死亡との因果関係が明らかでないという誤った手法に基づいて判断してしまったのである。判断するべきは、幅のある連続した義務違反行為を全体して措定し、それと死亡との関連の有無を判断すれば足り、そうすれば義務違反と認定された七七一回の診療行為が同時に太郎の死亡を招いたことは明らかであろう。太郎が被上告人でなく他の水準的医師に継続受診していれば、悲惨な死を避け得たであろうことは疑いないから、死亡との因果関係を認めるのに困難はない。

第二点、〈省略〉

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